2020.1.10

年始のご挨拶(追悼 中村哲さん)

 遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

 2020年が始まりました。みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

 今年の冬は暖冬だと言われていましたが、年末も年始も本当に暖かく、元日は近年稀に見る天気に恵まれました。朝起きて空を見上げると雲もなく、次第に東の空が赤く染まり始め、午前7時半過ぎには木々の間から昇る、素晴らしい日の出を拝むことができました。

 今年も健康に恵まれ元気に過ごせますように。災害のない良い一年でありますように。

 心を込めてお祈りしました。


 昨年5月に「平成」から「令和」へと時代が移り変わり、秋には天皇陛下御即位に関する一連の行事が盛大に執り行われ、新しい時代がいよいよ始まりました。長い間、療養生活を続けてこられた雅子さまが元気そうなお姿で、重要なご公務を無事に果たされるお姿を拝見できたことはとても嬉しいことでした。これまでの素晴らしいキャリアは国内外に広く認められているところであり、これから天皇陛下とともに、新しい時代の日本の象徴として、より一層のご活躍を心から願っています。そして令和という時代がどうか平和な時代でありますように。


 昨年末、新聞で「読者が選んだ日本10大ニュース」という記事があり、そのニュースの概略とプラス20(全30)のリストが掲載されていました。

1. 天皇陛下が即位(令和に改元)

2. ラグビーW杯日本大会開幕、日本8強

3. 京都アニメーション放火、36人死亡 ・・・・・

 私にとりましても心に刻まれたニュースは色々ありましたが(令和の幕開け、相次ぐ自然災害、ローマ教皇の来日、吉野彰氏のノーベル化学賞受賞、沖縄の首里城の焼失などなど)、中でもとても大きな衝撃を受けたのは、NGO「ペシャワール会」現地代表で医師の中村哲氏が、12月4日にアフガニスタン東部で銃撃を受けて、お亡くなりになったことでした(トップ30に選ばれていないことは、私には大きな驚きであり残念なことだったのですが、「特別」という中に記載されていました。選定期間外の事件だったのでしょうか。それとも新聞社側による選定だったのでしょうか。)

 中村医師は1984年、現地からの派遣要請を受けて、パキスタン北西部のペシャワールでハンセン病患者の診療を始められますが、その後、医療活動の場をアフガニスタンにも広げ、1991年にはそこに診療所を開設します。大旱魃に見舞われた2000年以降は、井戸や農業用水路の整備にも取り組み始めました。その最中、2001年9月11日に世界中を震撼させた同時多発テロがアメリカで起こり、首謀者のオサマ・ビンラーディンの潜伏先だったアフガニスタンはアメリカから報復攻撃を受け、民間人の犠牲者が続出するという大悲劇が起こりました。中村医師の存在はもう少し前から知っていたと思いますが、注目し始めたのはちょうどその頃です。新聞の書籍紹介のページでは「医者 井戸を掘るーアフガン旱魃との闘い」(中村哲著)という本をよく目にするにようになり、また新聞での鋭い論説やテレビ等で語られる言葉の数々は、私に新たな視点をもたらしてくれました。(テロの温床の根本原因を考察したり、タリバンを擁護する立場に立ったり、 医師としての精神を貫き、敵にも医療を施したりという行為は、当時の世論の支持を得ることはかなり難しかったと思います。中村さんの業績がこれまで国内外で正当な評価を得にくかった(私はそう感じています。マグサイサイ賞等、栄誉ある賞も受賞されていますが、それがどれくらい人々に認知されているでしょうか。)背景には、このことが多分に影響しているのではないかと思っています。)

 2016年にはNHKで中村さんの現地での長年の活動を追ったドキュメント番組が放映されました(事件後の昨年12月にも追悼番組として放映)。それは壮大な一大プロジェクト「緑の大地計画」の立ち上げから完成までの16年間を追ったもので、殺伐とした砂地が緑豊かな大地へと生まれ変わるまでをリポートしたものですが、私はその一部始終に釘付けになりました。先進国の最先端の技術を押し付けるのではなく、現地の人々を尊重し、その地に即した功利的な手段で支援を行うという自由度の高い活動の在り方にもとても共感を覚えました。

 私は「ペシャワール会」等に直接関わったことはありませんが、帰国のたびにメディアを通して中村さんの言動に触れる機会も多く、それは断片的な情報ではありましたが、いつも私をリセットしてくれる嬉しいニュースでした。変わらぬ使命感や静かな闘志から伝わってくる大きなパワーや誠実な生き方は、多くの不安の種が日毎膨らみつつある今という時代において、私の心に暖かな火を灯し、この世の中を生きていく上での1つの励ましにもなっていたように思います。戦火の絶えないアフガニスタンという地で、人間が人間らしく生きていくために最も必要なことは何なのか。その答えは人々にパンと水を用意すること、すなわち「診療所を100個作るよりも、用水路を1本作る」ことでした。その希望の種はやがて「緑の大地」へと変貌を遂げ(現在16500ヘクタールにも及ぶ)、これまで65万人もの人々の生活を支えたと言います(けれどもこれはまだ、国土のわずか数パーセントに過ぎないのだそうです)。この長年にわたる地道な活動は現地の人々から厚い信頼、支持を受け、昨年10月にはアフガニスタン大統領から市民証も授与されました。

 現地の人々の先頭に立ち、一緒に汗まみれ泥まみれになって、ただひたすら支援活動を続けてこられた方が、たとえ反勢力側の人間であるにせよ銃撃を受けて殺害されるなど、誰が想像できたでしょうか。そのようなことからは最も遠い方だと、私は勝手に思っていました。けれども事件後の報道によれば、中村さんを標的とする襲撃計画は、事前にアフガン情報機関に察知されており、それ以降、中村さんが外出する際にはいつも、内務省から派遣された警備員4、5人が護衛し、作業現場へのルートも毎回変えるなど、慎重な行動をしていたと言います(NHKが最後に取材した昨年10月にはすでに護衛が付いていたそうで、事件後に放映された映像には、中村さん自らが運転しているトラクターの窓にも複数の銃弾の跡がありました)。ご自分が標的にされて、命の危険にさらされていることを重々承知の上で、それでもなおアフガンでの事業を継続されていた・・・そのことを知ったとき、突然、涙が溢れ出てきました。

 中村医師の揺るぎない信念を支え続けたのはいったい何だったのでしょう。自分を信頼してくれているアフガンの人々に応えたいという深い思い、「ペシャワール会」はじめ遠くから活動を見守ってくれている多くの支援者の方々に対する責任の重さ、そして2008年に道半ばで武装集団に殺害されてしまった伊藤和也さんの遺志を決して無駄にしてはいけないという強い思い・・・それら全てのことが中村さんを奮い立たせ、現地へと向かわせていたのかもしれません。

 事件後、テレビやラジオや新聞など様々なメディアの中で、中村さんと活動を共にした方々がコメントしていましたが、その中の一人の方が次のようなことをおっしゃっていました。「今は犯人に対して、腹わたが煮え繰り返るような怒りしか覚えないが、中村先生はきっと、許してやれよ、と言っておられるような気がします。」私もそう思えてなりません。いつどんな時も全てを受け入れる覚悟でいらっしゃったのでしょう。自分を狙った武装集団さえ、実は信じていたのではないかと思えるほどです。けれども、一昨年には人材育成のための職業訓練校を設立するなど、今後20年の事業継続を見据えた態勢作りに取り組まれており、「あと20年は頑張る。」と言われていただけに、それを完遂し、最後まで見届けることができずどれほど無念だったことか、とても推し量ることはできません。

 「ペシャワール会」は事件当初から「事業継続」の意思をずっと表明していましたが、事件から1ヶ月経った1月4日、灌漑事業再開に向けての動きを表明しました。2008年に伊藤さんが亡くなられて以降、現地で活動していた日本人は中村さんただ一人という状況下において、今後の事業の舵取りは相当難しいものになるでしょう。ましてや、イランとアメリカとの関係がこれまでにないほど敵対関係、緊迫状態にある中、隣国アフガニスタンの治安もかなり厳しい状況にあるのではないかと危惧しています。どうかアフガンの人々がこの困難な状況を無事に乗り越えられますように。中村さんが「用水路が未来への希望となること」を願われていたように、みなが一丸となって、中村さんの遺志を引き継ぎ、それが少しずつでも形となって結実することを願わずにはいられません。

 世界最強の国アメリカを筆頭に、自国第一主義を掲げ、国力増強への道をひた走り始めた国が後を立たない今こそ、中村医師が遺したものの大切さに気付き、目を向け、耳を傾けることはとても意義あることではないかと感じています。長年、戦果の地に立ち、危険と隣り合わせの過酷な状況の中で思索を深められ、半生を賭けて示してくださった行動の数々には、この困難な時代を賢く生き抜くための知恵や指針が沢山秘められているのではないかと思います。今こそ私たち一人一人が平和であることの有り難さを深く心に留め、それを未来へと繋げていきたいものです。

 妻の尚子さんも長女の秋子さんも、中村さんを家から送り出されるときはいつもこれが最後かもしれないという思いを抱かれていたといいます。そのような苦しみを心に秘め、長年中村さんをそばで支え続け、見守られてきたご家族のご苦労はいかばかりのものだったかと思わずにはいられません。改めて、中村哲さんとそのご家族の方々に心からの感謝の念と哀悼の意を表し、中村さんのご冥福を心よりお祈りいたします。



 昨年も一昨年に続き、システム刷新作業を含む様々なことにかまけ、創作活動を軌道に乗せることができませんでした。今年こそは新たな作品をお届けしたいと思いつつ、それに至る過程を想像するにつけ、なかなかに厳しいものになるのではないかと予想しています。けれでも1つ1つの工程を楽しみつつ、一歩一歩前進していけたらと思っています。相変わらず頼りない私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


 最後に、今年もみなさまにおかれましても、私にとりましても、より良い一年となりますように。



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今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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1月7日は突然、春のような陽気になり、その夜、まるで春一番のように風が激しく吹き荒れた。せっかくたくさんの蕾をつけていた蝋梅の花はもうダメかもしれないと心配したが、ほとんど被害はなかった。次々に開花していて、今ちょうど五分咲きぐらいだろうか。日々、変わりゆく姿を楽しんでいる。